じじ日報

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生物進化と座席位置

 ある駅始発の電車に乗ると皆さんの座る位置が面白いです。対面シートの端から順に埋まっていきますね。私は端にあまり座らないので、友人を対象に「調査」しています。端に必ず座るという友人に理由を聞いてみると、他人と触れる可能性を下げているのだそうだ。私は「他人」と積極的に触れ合いたいとは思わないが公共交通機関を利用して触れ合いたくないとも思わない。もしかすると友人の心理では「他人に触れる」=「敵に接触する」なのかもしれないと思った。今日、いつものように電車に乗るとお母さんと幼児が乗り、向かいに座った。その位置はお母さんが端で子供が「内側」(他の人と接する側)だった。


 有袋類と有胎盤類が生物の進化の中で出会ったとき、後者が勝ち抜いたのだそうだがこの理由が胎児を未熟なまま生む有袋類において脳の発達に十分な酸素と栄養が不足し、結果知的な差が出来るからだとか。有袋類にも利点はあるようだ。激しく変化する環境や事件に対して子を捨てて成体のみが行き伸びる選択肢があり、有胎盤類では長期間にわたって体内で胎児を育てるためにこのような際に成体がダメージを受けてしまうのだとか。


 生きるとはこんなに厳しいものなのか、と考えさせられてしまうが、先ほどの親子の話しに戻るとどうだろうか?お母さんは「環境」から身を守るために自身を端の安全な位置に座ることを無意識に選択したと考えられる。これは、ある意味において自己防衛本能と考えられる。この結果として子供を「危険」にさらしたわけで、未熟な個体を捨て成体を残すことで集団の再構築を期待する戦略を選択したのである。


 もちろん、ここにはドラスティックな環境変化も事故も存在しないが、友人の言葉から察すると精神的には厳しい外的環境から個人の精神状態を守ろうとする本能が働いているようだ。有胎盤類である人類は子供を大切に育てる種族として進化、繁栄してきた。しかし、お茶の間に流れてくるニュースに日々発生するおぞましく痛ましい事件などが多い。それらの根底には、もしかするともっと身近で単純なそれだからこそ根の深い、生物が新たに取得した器官としての新皮質の動作に寄り、したがって、我々ヒトはまだ理解し得ていない、問題が潜んでいるのではないだろうか。今日、私が見かけた日常の光景が単なる偶然であり、ここに書いたことが私の些細な勘違いと考え過ぎによるものであることを願う。


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