じじ日報

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環境変化の時間認識
 私たちは、環境が変わったとか変わってきたとか言うが、元々のサイクル、あるいは、自然の摂理の上に成り立っているだけではないのか。

 極端に寒いところに生物は住まないが、暖かいところには住む。暖かい寒いというのはある時点での環境の表現である。時間軸を考えれば寒いところはもしかするとそのまま寒いままかもしれないし、暖かくなるかもしれない。暖かいところは、寒くなるのか、そのままか、暑くなるのか?時間軸を考慮して推移の方向を本当は問題にしなくてはならない。

 そもそも、ヒトは食べ物があれば「寄ってくる」のだから、ヒトがやってくる前には動物がいる。動物がいるためには小動物や鳥や昆虫がいて、その前には植物がいる...要するに、食物連鎖の下の方から順に己の生活域を広げる能力があって、最後にヒトがやってくる。ヒトが住み着いてしばらくすると「やれ環境が」とか言い出すのだが、それは数年単位であったり数十年の単位であったりと非常に短期間の議論をすることがしばしばである。それ以前の状況がどのようであったか知る由もなけえれば、議論の対象ともしていない。

 例えば、寒い地域があったとしよう。この場合の寒さは尋常ではない。少し暖かくなるとどこぞやらから植物の種子が飛んでくる。あるいは、渡り鳥が落としていく。これが育つ。すると徐々に昆虫等がやってくるようになってさっきの豊かな生物の環境ができてくる。仮に途中でまた寒くなったら、移動できるものは移動し、そうでないものは凍ってしまう。それだけのこと。

 私たちはどこに行くのか。

 我々が言っていることは一つのものの見方に過ぎない。

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