じじ日報

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美濃紙の費用対効果!?
 以前、何かの番組の中で和紙(美濃紙)を漉くときの話をしてました。私が興味があったのは簀桁(すけた)(巻き寿司を作る時の「まきす」みたいなやつが型にはまったもの)の竹ひごをつなぎ止めている糸(絹糸)の話です。


 美濃紙は丈夫で知られていますが、その理由が楮の細かな、しかし、長い繊維が縦横に複雑に絡み合っているからなのだとか。これを漉く時に使う道具の材料の一つが糸です。実は、紙漉作業は何度も何度も同じことを繰り返して均質な紙を漉いて行くのですが、このような行程に耐える強度を持つ絹糸を紡ぐことができるのが、日本でただ一人しかいないとのこと。


 若い夫婦が一念発起して伝統を継承して始めたのだそうですが、生計が立たず旦那さんが「定職」について奥さんが一人で、しかも、どこかの通路をかりて紡いでいると。泣ける話です。記憶では、建物の外観と美濃紙であると言うことから察するところ、美濃和紙の里会館でしょう。


 前置きが長くなってしまいました。私の言いたいことは、このような場合に費用対効果を語るべきでないのは当然なのですが、でもやはり経済主義の世の中で「個人の力」に頼らざるを得ないことを知り、これについて何とかしたいと思っても、やはり私たちはこの状況を容認せざるを得ないということ。結局「費用対効果」、「コスト」等々、つまらない経済主義の言葉で終始してしまって、頭では良しと思ったこととは裏腹な言い訳で納得してしまう。そんな自己矛盾を、社会を構成しているおそらくほぼ全ての人が抱えていると思います。


 このようなことを考えると、個人の集団が社会で、ここにはマジョリティーの論理が動作原理として働くものだと思っても、どうもそのようになっていないことに気がつきます。どういうことなのか?


 そう思って少し調べると費用対効果の使い方に問題があるように思います。費用対効果は「企業経営において、何にいかほど資金を投入したら、どれほど儲かるかを現状の結果から予測するときに使う用語」です。費用対効果に近い概念として「return on investment (ROI)」と言う英語があります。「見返り」を期待する意味において洋の東西を問わないということが分かります。ただし、英語の正々堂々としているのは、「広義には収益性を計ることだが、そこに特定の”正しい”計算法があるわけではない」としているところです。 


 例えば、「子どもにどれくらい投資したから、あの大学に行ってもらわなければ割に会わない」などと使うことは決してありませんよね!仮に「投資」という言葉を使うとすれば、教育の場合の「見返り」は、子どもの「知性」や「品位」、「人間性」の向上でしょう。英語のROIにおいて「特定の計算法が存在しない」といっている典型とも考えられます。計ることのできない見返りへの投資であったということです。 


 「科学研究」とは、限りなく「教育」にその概念的な性質が似ていると思います。


私は、経済主義の考えに従えば、取るに足らないが、崇高な人々に、また、そのような人々が行う事柄に対して、何らかの施しをしてあげたいと思います。まあ、思っているだけでなかなか行動できないんだけど。でも、もしかしたら、皆がそう思っていて、そんな皆の一部でも行動するとすれば、それで十分なのかもしれないとも思う。


 紙漉の話しが何の番組の一部かも定かでありませんが、たぶん西本願寺御影堂修復の際の絵の裏打ち剤としての紙の話だったと思います。


 一見、教育や科学研究の話しとは似ても似つかないと思われるかもしれませんが、「大切さ」を「お金」の単位で評価すること自体に問題があるという点で共通していると思います。


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