
しかし、現状はといえば、皆現実から逃げているとしか言い表し様が無い。会社の社長がテレビ番組に出演して会社経営の危機的状況を演出する。評論家が登場してアメリカバッシングをする。政治家が増税しかなす術が無いなどという。そんなことはどうでもよい。
日本には伝承歌がある。例えば「かごめかごめ」は誰でも知っているだろう。
かごめ かごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに
つるとかめがすべった
うしろのしょうめんだあれ
何を言っているのだか分からないが、それでも我々のおかれている状況に当てはめることもできる。我々は資本主義の籠の中の鳥なのだ。会社も鳥かもしれないが、会社で働く労働者も鳥だ。
会社は経営困難な状況に陥ると最悪の状況を避けるため、労働者の解雇が許されている。だから、鳥はやはり労働者ということに間違いは無いだろう。われわれは、今仮に逼迫した状況に無かろうとも、可能性として誰しもがそのような可能性の中に身をさらしているという意味で、全ての人は、この状況から抜け出すことができるだろうか?結論的には、決められた枠組みの中で何をやっても無駄であると言うことができる。我々は、外に何があるのか、外の世界があるのかさえ知る由もない。そうやって籠の中できょろきょろしているばかりの哀れな夕食のおかずとなる鳥な訳である。
我々は、勇気をだして誰も知らない新しい世界に飛び出す努力をしなくてはならない。一方で、会社は現実逃避に気付く必要があり、必要のないかけに出て死んでいく人々を救わなければならない。何を言っているのか分からないようなものは、自ら「長」の職を辞するべき。役人も大臣も同じ。あらゆる職種、階級において当てはまるはず。
先に書いたうように、「ある会社が経営難に陥ったとき、労働者の解雇というオプションが用意されている」ことには条件がある。「経済状況が通常の時期」というのが、条件である。他に働くための受け皿があることがその理由だ。労働者にとっては他の会社で働く方が有利な可能性すらある。現在のような状況のために用意された法律ではない。よく考えれば誰にでも分かるはずだ。会社(組織)はこれを利用して、言い訳としてこのルールを使い労働者を解雇しているに過ぎない。いつも弱者が強者に搾取されるのである。
それでは今何が必要か?皆で苦難を乗り越える勇気と努力。それだけだ。今解雇されるものがどのような苦境に立たされるか、言い訳をせずよく考えなければならない。我々は基本的人権を有し、勤労し、教育を受け、生存する権利を有している。今必要なことは、憲法に明文化された基本的な人権を尊守しつつ会社経営をおこなうことである。安いコンプライアンスを合唱するのではなく、基本に立ち返る必要がある。
真に考えるべきは薄っぺらな資本主義とか云う生き物の将来ではないだろうか。
写真は竹細工の藤倉商店さんから拝借させて頂きました。