じじ日報

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カンブリア爆発



 最近いろいろなことがあって気忙しくて、プライベートでコンピュータに向かう事がほぼありませんでした。向かうとか向かわないとかの問題ではなく、こういうのは気持ちに余裕が無いと書けないものです。


 考えは、考えるから出るのではなく勝手にそこにある、というより、「おりてくる」ような感じですが、あまりに忙しいときは「そのこと」で頭が一杯で、出るも何も時間がありません。仕事が済んだら寝る、というより気絶してるといった感じ。


 職場にアルビノ(白子)の植物の芽を見つけて、友人とあれこれ話をしていました。全く葉緑素の無いと思われたその植物は、隣に生えている健康体に比べ全体に多くの葉をつけ、より多くの光を集めようとしているようでした。


 このアルビノがどうして生きていられるのか?通常葉緑素を持たない植物は寄生植物で養分を宿主から分けてもらっていますし、葉すら無かったりします。しかし、この植物は全く普通の感じでした。


 何日か煙草を吸いに行った時に成長を見守っていました。「果たして、根を共有していてだからエネルギー源等は共有できているのだろうか、実から発芽したてでもうすぐ死んでしまうのだろうか」などと考えていました。


 そんなある日、職場の草刈りがあって、きれいさっぱり刈り取られてしまいました。なんだか切ない感じでした。だれがどう思っているから、とかではなくて、それなりに一生懸命に生きようとしていた命は、別の命によって、生きる価値を認められる事も無く、おそらくは、気に留められる間もなく、その命を刈り取られてしまったわけです。


 私は無神論者ですが、仮に神があるとしたら、こんな感じなのではないだろうか、などと考えてしまいます。全く「意識」レベル、「思考」、あるいは、「論理」の異なるものが、何らかの行為をする。これによって他の生物の生死が決まってしまう。しかし、そんな事すら問題ではなかったりするのではないだろうか。


 そのようにして、そのような圧力を耐え抜いて行くもの(種)が、結果として進化し、そのような圧倒的「脅威」に対して畏敬の念を、自らのコントロールできない超越した存在として認めつつも、理解する事も無く、それでも、あまりに自らとかけ離れたものとは認めたくもないままに、抱いている。


 1週間が経ち、いつものようにタバコを吹かして休憩していました。刈り取られた「雑草」も芽を出し始めていましたので、あのアルビノの生えていた辺りを見てみました。ありました。けなげにも、枯れる事無く、隣に生えていた健康体ともに新しい白い葉をつけていました。


 圧力に耐え続け、命は時間を越え生き続けています。「長生きしたい」などという、小さな個体の意思などあろうが無かろうが、そんな事は種族が生きるという事とはまったく無関係に、ただただ愚直なまでに単純に生きています。すばらしく単純な論理に従っているようです。


 忙しくって忙しくってどうしようもないときは、全く良いアイデアが出ませんが、でも、その後で堰を切ったかのようにアイデアは溢れ出します。生物は様々な圧力の元で生きていますが、持続的な、また/あるいは、大きな圧力にさらされて多くの種族存続の危機にひんした時、その後には「大爆発」が起こるのではないでしょうか。

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ヒトのカテゴリー:なまず系
 

 電車通勤を始めて2年が経ちました。最初から不思議、というか気持ちの悪い思いを何度の無く経験してきましたが、最近理解できました。


 あまり混み合っていない通勤電車に乗ってつり革につかまってしゅっぱぁ〜つ。すると、以後止まる度にだんだんと混んで来るわけです。これは普通の状態。当然、隣に誰か来る。これも普通。しかし、時々あらぬ距離におじさんやおばさんやお姉さんがすり寄ってくる。ヒィ〜!!!ってな訳で避けるうちに少しずつポジションが変わり、しばらくすると私が立っていた位置に後から来たおじさんやおばさんやお姉さんがいることになる。


 2年間、このような人たちに対してただただ気持ちのよく無い思いをし、腹立たしく思っていたものです。


 しかし、最近になってこのようなあり得ない状況にもだんだんと慣らされ、ああこういう風にして皆無気力な牛のような目になっていくのかなとか、勝手に他人を少し小馬鹿にしたりして、でも、それは、私がラッシュアワーの公共交通機関を使っていなかった些細な幸運が招いた人よりも後になって社会勉強をすることになっただけのことで、所詮私もこのようにしてそのような状況に慣れ親しんで、だから、みんなそのようにしてぼぉ〜っとしているだけになって、そうしてこの世の中そのものが成り立っているのかもしれないと、ようやく私もそんな社会の一員になれて来たのかなと思うに至っていました。


 そんな訳で、常識ある社会人に一歩近づいたので、あの類の人たちについて少し客観的に、かつ、冷静に観察してみました。


 発見!彼らは、ある時間の、ある車両の、ある位置にいるのだ、と。その「聖域」をたまたま私が犯してしまっていたのだ、と。それでは、この聖域が如何なる理由で聖域たりうるのか。それは、最も早くに下車する人の前であるから。そうなんです。彼らは自分のポジションを知っているだけではなく、誰の前に立てば効率よく座れるのかを知っているのだ。そんな彼らと私がかち合うことが意味すること、それはもしかすると私の「鼻が利く」と言うことなのかもしれない。これを指してビギナーズラックと言うことにしよう。


 彼らは、聖域をなんとしても確保するためにすり寄って来て、最終的にはその一見気持ちの悪い行為にビギナーがたじろいだスキにまんまと聖域を奪回するのだ。


 だから、...。もう、一歩も引かない。そうだ、奴らが来たら断固として譲らない。そのように決めた。私が先にそこにいたのだから。しかし、奴らは必要にすり寄ってくる。それでも、耐える。そうさ、iPodの音量を上げ、奴らの行為などに決して屈しないとの「のろしを上げ」て断固戦うんだ。


そして、着席!!!やったぁ〜 


って、ちっちゃい



奴らはまぎれも無い主である。まるで古池の大ナマズのよう...


カーネルサンダース
  ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースおじさんです。彼、いろんなことしてるの知っていましたか?



3月11日の震災の後には「子供達に笑顔を」のたすきをかけて毎日皆さんの前で立たせて頂きました。








朝は10時の少し前からお客さんの身になって自動ドアの前に立ってみます。...あれ?まだ開かないなぁ...








今年の夏は、震災の影響で節電しなくっちゃいけなかったので、ちょっと覗いてみると、やっぱりだいぶ暗いな。これじゃ、みんながんばってもお客さん来てくれないんじゃないかなぁ。







年末に一仕事。クリスマス衣装で皆さんをお待ちしています。










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